人間は、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。まさに挑戦と応戦です。
信心の実践から言えば、難や試練に遭った時に、心力、行力を奮い起こして、仏力、法力を引き出す。その応戦で積んだ「心の財」は大きい。崩れない。そして、多くの人を幸せにする力となります。
“大切な仏子を一人ももれなく幸福に”との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」です。
信心の根本は題目
信心の根本は題目である。白馬が大草原を颯爽と駆けていくような、清々しい唱題を心がけたい。
その題目の声が、行動となる。力となり、エネルギーとなる。そこから勢いも生まれる。たとえ一遍の題目であっても、全宇宙に響き渡る。
妙法の音律は、諸天を揺り動かさずにはおかない。
(勝利の人間学より)
師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし
我らは「勇気」また「勇気」で進もう! 日蓮大聖人は、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と宣言なされている。
「師子王の心」とは、何ものも恐れない最極の勇気である。
人生は戦いだ。だからこそ、決然と題目を唱え、「自分はこうする」と断固たる勇気の一歩を踏み出すのだ。「師子王の心」が苦悩に負けるはずがない。必ず乗り越えられる。乗り越えるたびに、大きな自分になれる。
(勝利の人間学より)
「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる
大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信が湧く。
さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。
法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。
だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。
「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。
壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ
この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。
壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
題目をあげ抜き、共々に大勝利していきましょう。
信心は限りない希望であり、自信
信心は限りない希望であり、自信である。たとえ地獄のような苦悩の渦中にあっても、寂光土へ変えていけるのが題目の力である。何があっても信心で立ち上がっていくのだ。
今の苦闘は、君たち自身の生命を、金剛不壊(こんごうふえ)の城と鍛え上げる盤石な土台となる。
策や要領ではなく、すべてを御本尊に任せ、勇敢に粘り強く戦い抜いていただきたい。
(勝利の人間学より)
題目の功徳は無量無辺
「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し」
題目の功徳は無量無辺である。この音声を唱え弘めてきた創価家族の福運は、まさに大海や須弥山の如く積まれている。
妙法は人類の仏性を呼び顕し、結び合わせる。一人一人の生命を蘇生させ、国土の宿命まで転換する力がある。
全世界の異体同心の友と、民衆の安穏を祈り抜く題目で、地球を包みゆこう!
(心に御書をから)
弛みなき精進のなかに、持続の信心のなかに、宿命の転換も、人間革命もある
「人生には、迫害の嵐、宿命の嵐が吹き荒れ、苦悩に苛まれることもあります。」
『苦』に直面した時には、その現実をありのままに見つめ、逃げたり、退いたりするのではなく、“よし、信心で打開しよう”と、ひたすら唱題に励んでいくことです。(中略)
その弛みなき精進のなかに、持続の信心のなかに、宿命の転換も、人間革命もあるんです。(中略)
強盛な信心とは、強盛な祈りであり、持続の唱題である。
“唱題第一の人”は――揺るがない。臆さない。退かない。敗れない。胸中に、不屈の闘魂と歓喜の火が、赤々と燃えているからだ。
(新・人間革命28 大道)
無限に行き詰らない、一切を変毒為薬できる幸福勝利の秘術
日蓮大聖人は、『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(御書、1170頁)
「真実に、一切衆生にとって、色心の留難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経以外ない」と断言された。
学術・医術・技術・芸術などの全ての術を生かし切って、最大に勝てる秘術が、信心である。無限に行き詰らない、一切を変毒為薬できる幸福勝利の秘術なのだ。
いかなる時も題目を忘れず、自らの技や英知を磨きながら、強気で進んでもらいたい。
(勝利の人間学より)
妙法は「生き抜くカ」であり、「幸福になる源泉」
御義ロ伝には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」と説かれる。
すなわち、悩みを消し去るのではない。むしろ、悩みをエネルギーとして、「人間革命」の智慧の炎を明々と燃え上がらせていくのだ。その一切の原動力が、題目なのである。
妙法は「生き抜くカ」であり、「幸福になる源泉」である。「何があっても勝っていけるカ」である。ゆえに、御本尊に祈り切り、希望をもって勇敢に立ち向かっていくのた。
(勝利の人間学より)
試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンス
人生の道は平坦ではない。深い悲しみの日もある。大きな苦しみの時もある。
しかし、悲しみが深ければ深いほど、苦しみが大きければ大きいほど、それを勝ち越えた時の喜びは、何ものにも勝る。
私たちには、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の信心があるではないか。
日蓮大聖人は、「わざばひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし」と仰せである。
悩んだこと、苦労したことも、全部、いい方向へ転じることができる。必ず必ず幸福の方向へ、人間革命の方向へ、成仏の方向へと、もっていけるのだ。
あとになれば、分かる。
仏法には、何一つ無駄(むだ)はない。
試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンスなのだ。
(勝利の人間学から)
御本尊への強い願いは、必ず通ずる
戸田先生は語られれた。
「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある、一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
しっかり御本尊に祈つていけば、諸天善神が絶対に護らないわけがない。仏の生命力が、必ず湧いてくる。どんな場所であろうが、どんな状況であろうが、元気に進むのだ。
私も、世界を回って題目をあげ、平和を祈ってきた。地涌の菩薩が出現するよう祈ってきた。毅然たる祈りがあれば、必ず希望の朝は来る。
人生は長い。絶対に学会から離れてはいけない。いつまでも朗らかに! そして幸福の勝利者になっていくのだ。
題目と唱える人に行き詰まりはない
「師子吼の題目を唱える人は、絶対に行き詰まることはない。
師子王が吼えれば、百獣は恐れおののく。
そのように、あらゆる魔性を破ることができる。
病魔も破る事ができる。
全宇宙の諸天善神が私たちの味方となるのだ。
何も心配はいらない。
何も恐れる必要はない。」
祈りから、全ては始まる
「我らの題目は、諸天善神を動かし、我らを、そして一家を、社会を守り、栄えさせていく。
強い強い信心があれば、必ず一切の道が開けていく。
たとえ、苦しいことや嫌なことがあっても、いかなる状況になろうとも、題目を唱え抜いていくのだ。どんなことも祈り抜いていくのだ。御本尊に語り掛けるように祈るのだ。
目には見えなくとも、願いを叶えるために、全宇宙が動く。
一番、悩んだ人が、一番、偉大な人生になっていくのである。
祈りから、全ては始まる。」
題目は、一切衆生を成仏へ導く大良薬
日蓮大聖人が唱え始められた題目は、一切衆生を成仏へ導く大良薬である。
立宗以来、命に及ぶ大難の連続も耐え忍ばれ、末法万年までの大道を開いてくださった。
地涌の誓願に立つ我らには、全てを勝ち越える御本仏の大生命が湧き上がる。
人類の仏性を呼び出す妙法の題目を響かせ、世界の友と立正安国へ不退転の挑戦を!
苦難に立ち向かう勇気
大聖人は、『南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(御書1143頁)と仰せです。
たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、〝絶対負けるものか!〟と、唱題し抜いていくんです。
そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。
生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
題目、題目、題目です。誰が見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく・・・それが、一切の原動力です
(新人間革命23 敢闘の章より)
大きな障害は勝利の前兆
カナダの女性作家モンゴメリーは、主人公の赤毛のアンにこう語らせている。
「わたしはね(中略)小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」
大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。
状況が厳しければ厳しいほど、強気で人生を生きぬいていくことだ。
勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。
御書には、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法がある。
ついには・たのしかるべし
大聖人は、不借身命の青年門下(南条時光)を『賢人』と讃えられ、『しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし』と断言なされました。
いかなる試練が襲いかかろうとも、いかなる苦難が打ち続こうとも、大聖人と不二の「師子王の心」を取り出して、恐れなく立ち向かうのだ。
「異体同心」の友と励まし合い、題目を唱え抜いて、一つ、また一つ忍耐強く変毒為薬していくのだ。
そして、いつも最後は、にっこり笑顔で、自分自身も、わが一家眷属も、わが国土も、「ついには・たのしかるべし」と必ずや勝ち栄えてみせるのだ――。
変毒為薬
災害に遭っても「心を壊る能わず(=心は壊せない)」と厳然と示されています。
「心の財」だけは絶対に壊されません。
いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と「変毒為薬」できるのが、この仏法であり、信心であります。
段と強く広宣流布を誓願し、共々に励まし合い、支え合いながら、この大災難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。
断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て!
2011年3月16日 メッセージより
困難な時こそ題目第一で
困難な時こそ、強き楽観主義で進むのだ。嘆いていても何も変わらない。
後ろを振り返っても何も進まない。まず題目だ。題目の中に一切が含まれている。
人生は、どこまでいっても戦いである。
ゆえに「絶対に勝つ」と決めて祈るのだ。
(勝利の人間学より)