人生の目的は何か。それは幸福である

人生の目的は何か。それは幸福である。
幸福の決め手は何か。それは境涯である。
同じ環境にあっても、その人の境涯によって、幸福ともなり不幸ともなる。

そして、信心とは、自身の境涯を限りなく広げ続けゆく「自己拡大作業」である。
その根本は唱題である。宇宙大の御境涯であられた日蓮大聖人の御生涯に連なりゆく荘厳な仏道修行である。

(「希望の明日へ」より)

まず題目をあげることだ

幸福とは単なる言葉ではない。物でもない。財産や地位や名声で、幸福は決まらない。
まず題目をあげることだ。そうすれば生命力が湧いてくる。
何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、嬉しく感じられる。その姿に幸せの一実像があるといえよう。

(「若き宝友へ」より)

必ずや変毒為薬

今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!
──この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。

先生のお体、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。

祈りが、まだまだ足りない。まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。

戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう! 働き切っていこう! 同志のために勝ち切っていこう! この一念しかありませんでした。

そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。
「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。

未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。
崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。
必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。

(「御書と師弟」より)

人生は勝利のためにある

戸田先生はこう言われました。「人間は戦うために生まれてきた。進みに進み、勝つために生まれた。これが幸福と平和につながる人生の意義である。人生は勝利のためにある」
その勝利の力が題目です。

(「御書と師弟」より)

行き詰ったら題目

信心の境涯を開くのは、一歩また一歩の努力である。
止まってはならない。行き詰ったら題目をあげ、行動して開いていく。その、たゆまぬ繰り返しによって、初めて宇宙大の境涯へと一歩一歩近づいていくことができる。

(「希望の明日へ」より)

ともかく御本尊の前に

日蓮大聖人は「一遍の題目にも、限りない功徳がある」と言われている。
いわんや、真剣に勤行・唱題を続けたら、どれほどすばらしいか。
全部、自分のためです。やった分だけ、自分が得をする。
「ともかく御本尊の前に」・・その心が大事です。
「少しでも、お題目を唱えていこう!」「毎日、御本尊に祈っていこう!」と挑戦を続ける心が尊いのです。

(「勝利の人間学」より)

勇敢な前進の原動力が「題目」

「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。
「賢者はよろこび愚者は退く」と仰せの如く、試練にも喜び勇んで挑む一念。
これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。

誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。
けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。
いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。

(「御書と師弟」より)

行き詰ったら題目をあげ、行動して開いていく

信心の境涯を開くのは、一歩また一歩の努力である。
止まってはならない。行き詰ったら題目をあげ、行動して開いていく。
その、たゆまぬ繰り返しによって、初めて宇宙大の境涯へと一歩一歩近づいていくことができる。

(「希望の明日へ」より)

題目で勝ちなさい

戸田先生は断言されました。
「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」
勝負は、我ら自身の一念です。行き詰まったならば、それは「前進している証しだ!」と胸を張って、何ものにも負けず、堂々と歩み抜きましょう。

(「御書と師弟」より)

「唱題の人」が「勝利の人」

「唱題の人」が「勝利の人」である。

題目をあげ抜いた人には、諸天が続々と参集する。最大に幸福の方向へと導いてくれる。
題目にかなうものは何もない。学会は久遠以来、最高の「唱題の団体」である。

ゆえに、必ず梵天・帝釈が動く。勝利への道は開く。
三世十方の諸仏・諸天を動かす、勢いある信心と行動をしていきたい。

(「希望の明日へ」より)

「焦らないで」「粘り強く」進もう

ともかく「焦らないで」「粘り強く」進もう。
すぐに祈りが叶う場合もあれば、すぐにはかなわない場合もある。
しかし「冥益」といって、時が経てば経つほど、すべて良い方向に進んできたことが、必ず実感できるものだ。
ゆえに、御書の通り、何があっても題目を忘れず、学会とともに前進していただきたい。
自分自身が勝利者となり、一家眷属も幸福に栄えさせていくための信心である。

皆さんが、「信心して良かった」と思えるよう、私も毎日、祈っている。

(勝利の人間学」より)

題目だけは、唱え続けていくこと

題目を唱えることによって、万般に通じゆく自在の境涯を求めずして自ら得ることができるのである。あとは強盛な信心を貫いていけばよい。

必ず成仏という永遠に崩れない絶対的幸福を築いていくことができる。したがって、どのような苦しみや困難があっても、題目だけは、唱え続けていくことである。

(「希望の明日へ」より)

自身にとって、一番いい方向にいく

現状がどうであれ、疑うことなく題目を唱え抜いていくことだ。
真剣に祈り抜き、祈りきることだ。最後には、自身にとって、一番いい方向にいく。
「頑張り抜いてよかった!」と、自らが叫べる大歓喜の人生を築くことができる。これが妙法の偉大なる力である。

(「勝利の人間学」より)

祈って戦った者が勝つ

まず祈ることだ。真剣に祈ることから始めるのだ。なぜ祈るのか。自分を最も強くし、自身の力を最大に出すためである。
祈れば、勝利への前進が始まる。最後は、祈って戦った者が勝つ!

(「勝利の人間学」より)

何ものにも負けない人生

今は苦しみの連続かもしれない。しかし、永遠に続く楽しみなどないように、永遠に続く苦しみもない。人生には、楽もあれば、苦もある。勝つこともあれば、負けることもある。苦も楽も共にあるのが人生の実相である。
だからこそ、苦しくとも、また楽しくとも、ありのままの姿で、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさいと、大聖人は教えておられるのである。

その人は、妙法の智慧と力によって、最高の幸福境涯となっていく。何ものにも負けない人生を生きることができるのである。

絶対に行き詰まりはない

南無妙法蓮華経と唱えれば、「生きぬく力」がわいてくる。
「希望」がわいてくる。煩悩即菩提で、悩みを喜びに、苦しみを楽しみに、不安を希望に、心配を安心に、マイナスをプラスに、すべて変えながら生きぬいていける。絶対に行き詰まりがない。

(「幸福と平和を創る智慧」より)

強く生きるためには、題目しかありまん

人生は強く生きる!強く!その二字に尽きます。強く生きるためには、題目しかありまん。
山でも頂上へ登れば登るほど、どんどん苦しくなる。あともう少し、というところで倒れてしまえば何にもならないじゃないか。

闇は暗ければ暗いほど、黎明(れいめい)は近い。登りきったところが富士山だよ。
今は自身を革命しているところだから、辛いこともあるだろう。
そう覚悟して、輝かしい足跡を築きなさい。
幸せになっていきなさい!

その戦う心に仏界は輝く

あらゆる苦難に挑みながら、仏法を弘め、同志を守り抜く。その戦う心に仏界は輝く。
所詮は題目を唱える以外にない。一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることだ。
生き抜く力の源泉、勇気とい智慧の源泉こそ題目なのである。

妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける

人生には病気の時もある。行き詰まるときもある。さまざまな苦悩がある。
しかし、妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける。苦しみを幸福への糧にしていける。ゆえに、その人のいるところは、何があっても〝寂光土〟なのである。

(「希望の明日へ」より)

いちばん苦しんだ人が、いちばん幸福になる

 いちばん苦しんだ人が、いちばん幸福になる。いちばん悩みをもった人が、いちばん偉大な人生となっていく。これが仏法です。だからすばらしいのです。(中略)
 だから、大いに悩み、大いに題目をあげきって、成長していけばよいのです。
 信仰とは、目標という悩みの「山」をつくり、「山」をめざし、「山」を登りながら、山を登りきるたびに大きな自分になっていく軌道(きどう)なのです。

(「青春対話より」)