戸田先生は言われました。「妙法の功徳は目に見えないうちに大きくなってくる。胸に植えた仏の種は必ず大樹になる。一旦そうなってしまえば、その時にはもう”功徳はいらない”と言ってもどんどん出てくるんだ」
私のもとには、この厳しい不況と戦いながら、崇高なる「陰徳」を積まれゆく同士の報告が次々と届きます。
「必ず勝ちます!」「見ていてください!」。
私は妻とともに懸命に題目を送り続ける日々です。断固として「陽報」を勝ち取ることを祈っています。
「此れ程の不思議は候わず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(四条金吾殿御返事)
四条金吾に贈られた御聖訓です。金吾は、正しき信仰ゆえに、讒言をされ、主君である江間氏の不興をかい、所領を没収されかけるなど、長期にわたって苦境が続きました。
しかし、ついには、主君の信頼を再び勝ち得て、以前より所領も加増された。坊主の謀略も、同僚の妬みもはね返し、威風堂々たる大勝利を飾りました。その弟子の実証を、日蓮大聖人は「陰徳あれば陽報あり」と喜ばれ、讃えてくださったのです。
もともとは中国の「淮南子」という古典に出てくる言葉です。
「陰徳」とは、人の見ていないところで、知らないところで、一生懸命努力し積んだ徳のことをいいます。
「陽報」とは、目に見える具体的な結果です。
人が見ていようがいまいが、真面目に信心を貫きながら、真剣に誠実に努力していく。そこに陽報がついてくるのです。
いつ陽報として現れるか、わからないけれど、必ず陰徳は陽報となって現れます。
これが、「冬は必ず春となる」という仏法の法理です。