勇敢な前進の原動力が「題目」

「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。
「賢者はよろこび愚者は退く」と仰せの如く、試練にも喜び勇んで挑む一念。
これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。

誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。
けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。
いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。

(「御書と師弟」より)

題目だけは、唱え続けていくこと

題目を唱えることによって、万般に通じゆく自在の境涯を求めずして自ら得ることができるのである。あとは強盛な信心を貫いていけばよい。

必ず成仏という永遠に崩れない絶対的幸福を築いていくことができる。したがって、どのような苦しみや困難があっても、題目だけは、唱え続けていくことである。

(「希望の明日へ」より)

今おかれた環境を嘆いてはならない。いよいよ闘志を燃やすのだ。

あらゆるものは変化、変化の連続である。
その変化を、善の方向へ、幸福の方向へと変えていくのが私たちの信心である。
ゆえに、人は必ず善く変わることができる。環境もまた、必ず善く変えることができる。
ゆえに、今おかれた環境を嘆いてはならない。いよいよ闘志を燃やすのだ。
祈りに祈り、粘り強く挑戦を重ねてこそ、我が地域の「三変土田」は成し遂げられることを忘れまい。

(「勝利の人間学」より)

何ものにも負けない人生

今は苦しみの連続かもしれない。しかし、永遠に続く楽しみなどないように、永遠に続く苦しみもない。人生には、楽もあれば、苦もある。勝つこともあれば、負けることもある。苦も楽も共にあるのが人生の実相である。
だからこそ、苦しくとも、また楽しくとも、ありのままの姿で、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさいと、大聖人は教えておられるのである。

その人は、妙法の智慧と力によって、最高の幸福境涯となっていく。何ものにも負けない人生を生きることができるのである。

妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける

人生には病気の時もある。行き詰まるときもある。さまざまな苦悩がある。
しかし、妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける。苦しみを幸福への糧にしていける。ゆえに、その人のいるところは、何があっても〝寂光土〟なのである。

(「希望の明日へ」より)

生を「生きて生きぬく」ためのエンジンが信仰

人生、いろいろなことがある。悲しみがあり、苦しみがある。毎日、いやなこともある。
ありとあらゆる悩みがある。生きていくことが、どれほどたいへんなことか──。 
その人生を「生きて生きぬく」ためのエンジンが信仰である。ロケットのように、悩みの雲を突きぬけて、ぐんぐん上昇していく。生き生きと、限りなく向上していく。幸福の大空を遊戯していく。そのための噴射力が信心である。

(「幸福と平和を創る知恵」より)

どんな悩みも乗り越えられる「生命力」と「智慧」と「福運」を発揮

南無妙法蓮華経と唱えゆく時、御本尊を中心にして、わが生命と宇宙が、きちっとギアをかみ合わせ、幸福の方向へ、幸福の方向へと回転を始めるのです。

春夏秋冬、365日、大宇宙のリズムに合致して、どんな悩みも乗り越えられる「生命力」と「智慧」と「福運」を発揮していける。
「仏界」という生命力のエンジンを爆発させながら、行き詰まりを打開(だかい)し、前へ前へ、希望の方向へ、正義の方向へと、勇んで走っていけるのです。

(「青春対話」より)

難を乗り越える信心

人間は、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。まさに挑戦と応戦です。
信心の実践から言えば、難や試練に遭った時に、心力、行力を奮い起こして、仏力、法力を引き出す。その応戦で積んだ「心の財」は大きい。崩れない。そして、多くの人を幸せにする力となります。
“大切な仏子を一人ももれなく幸福に”との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」です。

「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる

大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信が湧く。

さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。

法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。
だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。

「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。

壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ

この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。 
壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。

「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
題目をあげ抜き、共々に大勝利していきましょう。

信心は限りない希望であり、自信

信心は限りない希望であり、自信である。たとえ地獄のような苦悩の渦中にあっても、寂光土へ変えていけるのが題目の力である。何があっても信心で立ち上がっていくのだ。
今の苦闘は、君たち自身の生命を、金剛不壊(こんごうふえ)の城と鍛え上げる盤石な土台となる。
策や要領ではなく、すべてを御本尊に任せ、勇敢に粘り強く戦い抜いていただきたい。

(勝利の人間学より)

試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンス

人生の道は平坦ではない。深い悲しみの日もある。大きな苦しみの時もある。
しかし、悲しみが深ければ深いほど、苦しみが大きければ大きいほど、それを勝ち越えた時の喜びは、何ものにも勝る。
私たちには、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の信心があるではないか。
日蓮大聖人は、「わざばひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし」と仰せである。

悩んだこと、苦労したことも、全部、いい方向へ転じることができる。必ず必ず幸福の方向へ、人間革命の方向へ、成仏の方向へと、もっていけるのだ。
あとになれば、分かる。
仏法には、何一つ無駄(むだ)はない。
試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンスなのだ。

(勝利の人間学から)

祈りから、全ては始まる

「我らの題目は、諸天善神を動かし、我らを、そして一家を、社会を守り、栄えさせていく。
強い強い信心があれば、必ず一切の道が開けていく。
たとえ、苦しいことや嫌なことがあっても、いかなる状況になろうとも、題目を唱え抜いていくのだ。どんなことも祈り抜いていくのだ。御本尊に語り掛けるように祈るのだ。
目には見えなくとも、願いを叶えるために、全宇宙が動く。
一番、悩んだ人が、一番、偉大な人生になっていくのである。
祈りから、全ては始まる。」

苦難に立ち向かう勇気

大聖人は、『南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(御書1143頁)と仰せです。
たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、〝絶対負けるものか!〟と、唱題し抜いていくんです。
そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。
生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
題目、題目、題目です。誰が見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく・・・それが、一切の原動力です

(新人間革命23 敢闘の章より)

大きな障害は勝利の前兆

カナダの女性作家モンゴメリーは、主人公の赤毛のアンにこう語らせている。
「わたしはね(中略)小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」
大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。

状況が厳しければ厳しいほど、強気で人生を生きぬいていくことだ。
勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。

御書には、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法がある。

変毒為薬

災害に遭っても「心を壊る能わず(=心は壊せない)」と厳然と示されています。
「心の財」だけは絶対に壊されません。
いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と「変毒為薬」できるのが、この仏法であり、信心であります。
段と強く広宣流布を誓願し、共々に励まし合い、支え合いながら、この大災難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。
断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て! 

2011年3月16日 メッセージより