必ずや変毒為薬

今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!
──この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。

先生のお体、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。

祈りが、まだまだ足りない。まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。

戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう! 働き切っていこう! 同志のために勝ち切っていこう! この一念しかありませんでした。

そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。
「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。

未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。
崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。
必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。

(「御書と師弟」より)

信心強き人に、不幸の二字はない

信心強き人は、絶対に行き詰まらない。
何が起ころうと、すべてを功徳に変えていける。
幸福に変えていける。もちろん長い人生には、さまざまなことがある。悩み、苦しみがある。しかし、それらを全部、自分自身の境涯を開く糧とすることができる。
その意味で、信仰者にとって、根底は、一切が功徳であり、幸福なのである。信心強き人に、不幸の二字はない。

(「希望の明日へ」より)

いちばん苦しんだ人が、いちばん幸福になる

 いちばん苦しんだ人が、いちばん幸福になる。いちばん悩みをもった人が、いちばん偉大な人生となっていく。これが仏法です。だからすばらしいのです。(中略)
 だから、大いに悩み、大いに題目をあげきって、成長していけばよいのです。
 信仰とは、目標という悩みの「山」をつくり、「山」をめざし、「山」を登りながら、山を登りきるたびに大きな自分になっていく軌道(きどう)なのです。

(「青春対話より」)

わざはひも転じて幸となるべし

悲しみが深ければ深いほど、苦しみが大きければ大きいほど、それを勝ち越えた時の喜びは、何ものにも勝る。 
私たちには、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の信心があるではないか。 日蓮大聖人は、「わざはひも転じて幸となるべし」と仰せである。

(勝利の人間学より)

「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる

大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信が湧く。

さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。

法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。
だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。

「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。

信心は限りない希望であり、自信

信心は限りない希望であり、自信である。たとえ地獄のような苦悩の渦中にあっても、寂光土へ変えていけるのが題目の力である。何があっても信心で立ち上がっていくのだ。
今の苦闘は、君たち自身の生命を、金剛不壊(こんごうふえ)の城と鍛え上げる盤石な土台となる。
策や要領ではなく、すべてを御本尊に任せ、勇敢に粘り強く戦い抜いていただきたい。

(勝利の人間学より)

試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンス

人生の道は平坦ではない。深い悲しみの日もある。大きな苦しみの時もある。
しかし、悲しみが深ければ深いほど、苦しみが大きければ大きいほど、それを勝ち越えた時の喜びは、何ものにも勝る。
私たちには、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の信心があるではないか。
日蓮大聖人は、「わざばひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし」と仰せである。

悩んだこと、苦労したことも、全部、いい方向へ転じることができる。必ず必ず幸福の方向へ、人間革命の方向へ、成仏の方向へと、もっていけるのだ。
あとになれば、分かる。
仏法には、何一つ無駄(むだ)はない。
試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンスなのだ。

(勝利の人間学から)

大きな障害は勝利の前兆

カナダの女性作家モンゴメリーは、主人公の赤毛のアンにこう語らせている。
「わたしはね(中略)小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」
大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。

状況が厳しければ厳しいほど、強気で人生を生きぬいていくことだ。
勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。

御書には、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法がある。

ついには・たのしかるべし

大聖人は、不借身命の青年門下(南条時光)を『賢人』と讃えられ、『しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし』と断言なされました。

いかなる試練が襲いかかろうとも、いかなる苦難が打ち続こうとも、大聖人と不二の「師子王の心」を取り出して、恐れなく立ち向かうのだ。
「異体同心」の友と励まし合い、題目を唱え抜いて、一つ、また一つ忍耐強く変毒為薬していくのだ。
そして、いつも最後は、にっこり笑顔で、自分自身も、わが一家眷属も、わが国土も、「ついには・たのしかるべし」と必ずや勝ち栄えてみせるのだ――。

変毒為薬

災害に遭っても「心を壊る能わず(=心は壊せない)」と厳然と示されています。
「心の財」だけは絶対に壊されません。
いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と「変毒為薬」できるのが、この仏法であり、信心であります。
段と強く広宣流布を誓願し、共々に励まし合い、支え合いながら、この大災難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。
断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て! 

2011年3月16日 メッセージより